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「ずっとコンプレックスだった歯並びが綺麗になってきた」
矯正治療が進むにつれて、鏡を見るのが楽しくなってきます。しかし、歯が綺麗に並んできた喜びと同時に、ふと鏡を見て違和感を覚える患者様がいらっしゃいます。
「あれ? 歯と歯の間の歯茎に、黒い三角形の隙間ができている…」
「もしかして、矯正のせいで歯茎が下がってしまったの?」
矯正治療が進むにつれて、この隙間が気になってしまう方は少なくありません。しかし、これは矯正治療の失敗ではありません。特に大人の矯正治療において、この現象は避けて通れないテーマの一つです。
この黒い三角形の隙間は、専門用語でブラックトライアングルと呼ばれています。
これは治療の失敗ではなく、歯が動くという生物学的な反応の中で起こりうる現象の一つです。
この記事では、ブラックトライアングルがなぜできるのか、その正体とメカニズム、そして現代の矯正歯科治療がこの問題にどう対処しているのかを、詳しく解説していきます。
そもそもブラックトライアングルとは?
ブラックトライアングルとは、その名の通り、歯と歯、そして歯茎の間にできる「黒い三角形の隙間」のことです。前歯など目立つ部分にできやすいため、見た目の問題として気になられる方が多くいらっしゃいます。
また、見た目だけでなく「食べカスが詰まりやすくなった」といった機能的な不便さを感じることもあります。
歯茎が下がったわけではない?隙間が目立つメカニズム
「黒い隙間ができた」=「歯茎の病気になってしまった」「歯茎が下がった」と直結させてしまう方が多いのですが、必ずしもそうではありません。
健康な状態のお口では、歯と歯の間の隙間にはピンク色の歯茎が入り込むように満たされています。この山なりになった歯茎の部分を、専門用語で「歯間乳頭(しかんにゅうとう)」と呼びます。

ブラックトライアングルは、この歯間乳頭が隙間を完全に覆いきれなくなった時に発生します。ちなみに「黒く」見えるのは、虫歯や汚れによるものではありません。お口の中という暗い空間が背景にあるため、光の加減で隙間が影になり、黒くポッカリと穴が空いたように見えているだけなのです。

では、なぜ矯正治療中にこの歯間乳頭が隙間を埋めきれなくなってしまうのでしょうか。 最も多い理由は、ガタガタだった歯が綺麗に並んだことで、本来の歯茎のラインが『見える化』されたからです。
歯が重なり合っているがたつきが強い状態の時、その重なっている部分には十分な骨や歯茎が存在していないことが多々あります。しかし、歯が重なっているため、その「隙間」は隠れて見えません。 矯正治療によって歯並びが綺麗に整列し、重なりが解けた瞬間、これまで隠れていた歯茎のボリューム不足が露わになります。つまり、新しく隙間ができたというよりも、「もともとあった隙間が、歯が並んだことで見えるようになった」という表現が医学的には正しいケースが多いのです。
矯正治療後の発生率は約38〜58%?決して珍しいことではない理由
「私の歯茎に隙間ができたのは、私のケースだけ特別なの?」 そう心配されるかもしれませんが、実はブラックトライアングルは、大人の矯正治療において非常に高い頻度で発生することが、多くの学術研究で報告されています。
海外のシステマティックレビューによると、固定式の矯正装置を使用した治療後にブラックトライアングルが発生する確率は、なんと約38%〜58%に上るとされています。
また、成人の矯正患者様を対象とした別の研究データでは、さらに興味深い結果が出ています。 治療開始前にブラックトライアングルがあった割合はわずか1.7%だったのに対し、治療終了後には36.4%にまで増加していたのです。
このデータが示しているのは、大人の矯正治療を受けた方の約3人に1人、あるいは2人に1人は、大小の差こそあれブラックトライアングルを経験する可能性があるという事実です。
この数字を見て、「そんなに高い確率なら矯正を諦めようかな…」と思われる必要はありません。 私たちがこれらのデータをお伝えするのは、患者様を怖がらせるためではなく、決して珍しいトラブルや医療ミスではなく、高い確率で起こり得る現象だからこそ、事前に知っておいていただきたいという思いからです。
なぜ起こるのかを事前に把握し、それに対する「予防策」や「リカバリー方法(解決策)」をしっかりと持っている歯科医院を選ぶことが、大人の矯正治療を成功させるための重要な鍵となります。
なぜ隙間ができるのか?知っておきたい3つの「発生リスク因子」
では、なぜ同じように矯正治療を受けても、ブラックトライアングルができる人とできない人がいるのでしょうか?
そこには、患者様ご自身の「解剖学的な特徴」や「年齢」など、いくつかの明確なリスク因子が関わっています。代表的な3つの要因を見ていきましょう。
1. 「歯の形」の影響:三角形の歯は要注意
鏡でご自身の前歯の形をよく観察してみてください。
あなたの歯は、四角い形に近いですか? それとも、歯の根元に向かって細くなる三角形に近いでしょうか?
この、歯の形が「三角形の歯」である方は、ブラックトライアングルができやすい状態です。
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四角い歯(スクエア型)の場合:
歯の先端から根元まで幅があまり変わらないため、隣の歯と接する面が広くなります。隣り合う歯同士が広い「面」でピタリと接するため、その下の空間が狭く、歯茎の組織で埋まりやすくなります。
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三角形の歯(トライアングル型)の場合:
歯の先端は幅が広いのに、歯茎に近い根元部分はキュッと細くなっています。この形の歯が綺麗に並ぶと、隣の歯と接するのは先端近くの「点」だけになります。その結果、接触している点の下に、大きな三角形の隙間(空間)が生まれやすくなってしまうのです。

2. 「年齢」と歯肉:大人の矯正でリスクが高まる背景
2つ目の大きな要因は「年齢」です。
残念ながら、歯茎や歯を支える骨にもエイジングの変化があります。
若い頃の歯茎は弾力があり、細胞も活発なため、多少の隙間であれば歯間乳頭がふっくらと育ち、自然に埋めようとする力があります。しかし、年齢を重ねると歯肉は薄くデリケートになり、この再生能力が低下してしまいます。
さらに重要なのが、歯の土台となる歯槽骨(しそうこつ)の減少です。長年の噛み合わせの負担や、過去の軽度な歯周病などの影響により、大人になるにつれて歯槽骨の高さは少しずつ下がっていきます。土台である骨が下がれば、その上を覆っている歯茎も当然下がってしまうため、隙間を埋めるのが物理的に難しくなるのです。
3. 「骨」との距離
そして3つ目。
これは、歯と歯が接触する点(コンタクトポイント)から、その下にある「骨の頂点(歯槽骨頂)」までの距離が、歯茎(歯間乳頭)の形成にどう影響するかを調べた研究があります。
少し専門的な話になりますが、この距離と「隙間が埋まる確率」には、以下のような明確な関係があります。
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距離が5mm以下の場合:
ほぼ歯茎が隙間を満たしてくれる(ブラックトライアングルはできにくい)。
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距離が6mmの場合:
歯茎が隙間を満たす確率は、約半分に下がる。
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距離が7mm以上の場合:
歯茎が隙間を満たす確率は、かなり少ない。
つまり、接触点から骨までの距離が5mmを超えると、ブラックトライアングルができやすくなるというわけです。
大人の矯正治療では、先述の通り骨の位置が少し下がっていることがあります。骨が下がっているのに、歯の接触点が以前と同じ高い位置にあれば、その距離は簡単に6mm以上になってしまい、結果として黒い隙間が目立ってしまうのです。
矯正治療はブラックトライアングルの「原因」にも「解決策」にもなる
ここまで読むと「矯正をすると隙間ができるリスクばかりだ」と感じてしまうかもしれません。しかし、実は矯正治療はブラックトライアングルを作る「原因」になる一方で、それを解消するための解決策にもなり得ます。
ガタガタの歯(叢生)が解けた時に「隠れていた隙間」が現れる
「矯正前は隙間なんてなかったのに!」と思われる患者様も多いのですが、実は「隙間はずっとそこにあったが、見えていなかっただけ」というケースが大半です。
歯が重なり合っている状態(叢生・乱杭歯)の時、歯茎はその狭い隙間に押し込められているか、重なりのせいで本来あるべき骨が失われていることがよくあります。
矯正治療が進んで重なりが解けた瞬間、これまで隠されていた歯茎のボリューム不足が「見える化」されます。これが、矯正後にブラックトライアングルが出現する主なメカニズムです。
逆に隙間を消すテクニック:IPRと歯根コントロール
では、できてしまった隙間に対してどう対処するのか。それが「IPR(ディスキング/ストリッピング)」という処置です。
IPRとは、歯の側面(隣の歯と接する部分)のエナメル質をわずか(0.2mm〜0.5mm程度)に削り、形を整える処置です。IPRに関しては過去に当院のこちらのブログで詳しく解説しています。安全な処置なのでご安心ください。
歯を削ると聞くと怖いイメージがあるかもしれませんが、IPRには歯の形を整えて、接触面を少し下(歯茎側)に広げることが可能です。
点接触だった三角形の歯を、IPRによって面接触に変えます。すると、接触位置が骨に近づくため、前述の骨と接触点との距離を短くなるようコントロールできるのです。IPRというと、歯のガタツキを解消するために歯を並べるスペースを作るというイメージがありますが、治療後の歯茎の美しさまで計算して、あえて歯のプロポーションを整えることにも活用します。

また、倒れていた歯の根(歯根)をまっすぐに起こして平行に揃えることでも、根元部分の隙間を狭くし、ブラックトライアングルを改善させることができます。
当院が考えるブラックトライアングルへの対策
当院では、このブラックトライアングルの問題に対し、ただ場当たり的に対処するのではなく、治療のスタート前から計画的なアプローチを行っています。
治療計画での予測:リスク評価
治療を始める前に、患者様の現在の歯の形態や骨の状態を詳細に検討しブラックトライアングルのリスクに関して術前に説明をさせていただきます。
デジタル技術を活用することで、「このまま歯を動かすと、どの部分にどれくらいの隙間ができそうか」を高い精度でシミュレーションすることが可能です。
事前にリスクを視覚的に共有し、「ここは隙間ができやすいので、治療の途中で少し歯の形を整えましょう」といった具体的な対策を含めたカウンセリングを行います。
治療中の対応:接触点を下げて歯肉を埋める(コンタクトポイントの調整)
治療の進行に合わせて、最適なタイミングでIPRにより接触点の調整を行います。特に前歯の審美性が問われる部分では、0.1ミリ単位の細かな調整を重ねることで、歯並びの美しさだけでなく、歯肉のラインとの調和を図ります。
どうしても残る場合:ダイレクトボンディングや補綴でのリカバリー
骨の吸収が著しい場合など、矯正治療(歯の移動とIPR)の工夫だけではどうしても隙間をゼロにできないケースも存在します。
その場合は、提携医院と連絡を取り合い、隙間部分に歯と同じ色の高品質な樹脂を盛り足して隙間を埋める「ダイレクトボンディング」や、薄いセラミックを貼り付ける「ラミネートベニア」など、補綴(ほてつ)的なアプローチを組み合わせることで、最終的な見た目のリカバリーまでご提案をさせていただきます。
まとめ:リスクを理解した上で、最善の美しい口元を目指すために
ブラックトライアングルは、大人の矯正治療において避けては通れない現象の一つです。
「なぜ起こるのか」という医学的な根拠を知り、それを最小限に抑えるための技術を駆使することで、美しい口元を作ることは十分に可能です。
もし、ご自身の歯の形で「矯正したら隙間ができそうだな」「現在治療中で、歯茎の隙間が気になり始めた」という方がいらっしゃいましたら、一人で悩まずにぜひ一度ご相談ください。
科学的な根拠に基づき、あなたのお口の状態に合わせた最善の解決策をご提案いたします。
よくあるご質問(Q&A)
記事の内容について、患者様からよくいただく疑問をQ&A形式でまとめました。
Q1. 矯正後に歯茎に隙間ができたのは、治療の失敗ですか?
A. いいえ、失敗ではありません。特に大人の矯正治療では、ガタガタだった歯が綺麗に並ぶことで、それまで隠れていた隙間が見えるようになる「ブラックトライアングル」という現象が起こりやすく、決して珍しいことではありません。
Q2. なぜ隙間が黒く見えるのですか?虫歯でしょうか?
A. 虫歯や汚れではありません。お口の中は暗いため、歯と歯茎の間にできた空間が影になり、黒く見えているだけです。
Q3. ブラックトライアングルになりやすい人はいますか?
A. はい、いくつかの特徴があります。「歯の形が根元に向かって細くなっている三角形の方」や「年齢を重ねて歯を支える骨の高さが少し下がっている方」は、隙間ができやすい傾向にあります。
Q4. できてしまった隙間を治す方法はありますか?
A. はい、あります。矯正治療中に「IPR(ディスキング)」を行い、歯の形を微調整して接触面を下げることで改善を図ります。それでも隙間が気になる場合は、治療後に歯と同じ色の樹脂で埋める(ダイレクトボンディング)などの方法でリカバリーすることも可能です。
Q5. 隙間を埋めるためのIPRで歯を削っても大丈夫ですか?
A. はい、大丈夫です。IPRは歯の健康や寿命に影響がない安全な範囲内(エナメル質の表層のみ)で慎重に行います。当院では、歯を並べるスペースを作る目的だけでなく、治療後の歯茎の美しさ(ブラックトライアングル対策)まで計算して行っています。
参考文献(References)
本記事は、以下の矯正歯科学および歯周病学における学術研究に基づいています。
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Tarnow DP, Magner AW, Fletcher P. “The effect of the distance from the contact point to the crest of bone on the presence or absence of the interproximal dental papilla.” J Periodontol. 1992;63(12):995-6. (歯の接触点と骨の頂点までの距離が、歯間乳頭の存在にどう影響するかを定義した原著論文)
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Kurth JR, Kokich VG. “Open gingival embrasures after orthodontic treatment in adults: prevalence and etiology.” Am J Orthod Dentofacial Orthop. 2001;120(2):116-23. (成人矯正におけるブラックトライアングルの発生率が治療前後でどう変化するか、その原因を調査した論文)
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Rashid ZJ, et al. “Incidence of Gingival Black Triangles following Treatment with Fixed Orthodontic Appliance: A Systematic Review.” Healthcare (Basel). 2022;10(8):1373. (固定式矯正装置による治療後のブラックトライアングル発生率に関するシステマティックレビュー)




